母の腰が急に曲がり始めた。腰椎すべり症というものらしいのだが、それだけでは無かった。
パーキンソン病に似たパーキンソン症候群という病気にもかかっている事を知る。

兄弟共に未婚で、このままではまずいと思ったTANは母に料理を教えてもらう事にした。
(婚活しようとならない所がTAN)(兄は婚活したが、やめてしまった)

一人で病院には行けなくなった頃、親戚の勧めで大学病院に変える。
処方してもらった薬で母に幻覚や感触異常の副作用が出る。

手触り足ざわりがザラつくようで、黄砂が・・・と言いつつ、虫がたくさん家に穴を開けていると母が言い、
改装業者に電話しようとするので、見えてないTANは違うよ幻覚だよと否定、説得しようとした。 

のちに否定はよくないとTVで見て知るが、まだ情報不足の時代だったので、どうすればいいのか分からず、
声を荒げまいと自分を抑えていたが、当時の付き合いが悪態の多い者たちばかりだったので、TANに鬱の症状
出始める。 

パーキンソン病の薬が効いて体が動く時、母が幻覚に出てくる男に脅され、出かけようとする、仕事もあったので強引に母を家に引き込む。
もう薬飲まないと言う母に、俺を困らせないでくれと言う。 泣き始めた母を見て、しまった!と後悔するが発した言葉は戻らない。一番苦しいのは母なのに。 当時「要介護3」

薬の副作用か、2日も浅く眠りつづけ、歯も磨けず辛そうな母の姿を見続け、ようやく自分の自由は捨てる覚悟ができた。
1度始めると10年、20年、それ以上自由を失う・・・それが怖かったから、手伝いはしても生活全般の介助をする決断が出来なかった、が
こんな体で御免ね・・・。 泣いて誤る母を見て自分に思う「この大馬鹿野郎」。

夏は風呂に入れる回数も増えるのでとても疲れるが、辛くてもダイエットの一環だと思えばいいのだとする。でも風呂は気持ちよさそうだ。作った料理を美味しそうに食べてくれると
嬉しいものなんですねぇ。作った料理を美味しいと言ってくれると嬉しいと言う人の事を、自分が美味しい思いができる訳でもないのに何が嬉しいのか分からなかったが、
大事な人が喜ぶのはいいものだなぁと少し理解できた。
                                                  
夜中に母をトイレに連れて行くと薬の効きが残っているのか、ぼんやりとTANを見て、「おばーちゃーん」と子供のように呼ぶ。祖母に面倒見てもらっていた子供時期に心が戻っているようだ。母の人生を思うTAN。

大変な時代を生き抜いて、やっとの老後がこんな事に・・・。 俺が絶対守る!

そんな決意をしたのに、頻繁に用足しで呼ばれ眠れない夜が続くとイラついてしまい、飲み込む毎日。
もう、呼ばれなくとも、時間になれば起こしてトイレにつれて行く。 そんな中、いつもと様子が違う。なぜか用足しに抵抗する感じ。シモを拭こうと思ったら、すぅっと母の目が開きTANの眼を睨む、 う・・・他人の眼だ、顔は母だが眼は他人のものだ。そう思ったら母の手が持ち上がり、TANの横っツラを叩き始めた。弱った老人のビンタは痛くはない
のだが、 心が痛いよ。 目の前の母は今いったい何者なのだろうか・・・。また眼を閉じた母を負ぶってベッドにつれて行く。
後から知ったことだが、もっと頻繁に声をかけるべきだったのだ。 母の立場から見れば、動かない体にぼやけた記憶や幻覚、不安と恐怖の連続だろう、当然怒りも出てくる。
目の前の良く分からない男にシモを触られる恐怖。 今何をしていて、これから何をするか、ちゃんと言葉で丁寧に説明してあげる必要があったのだ。

知識もないのでやってはならない事をやってしまう。 ご飯を作り、食べさせている最中に、母は副作用の眠気に襲われ、なかなか食べられない。片付けも出来ず、仕事の納期もあり
イラついて口に食べ物が入った状態で母を横にして眠らせてしまう。数日後に熱が出る。 1週間たっても熱がひかず入院して検査したところ、肺炎を起こしていた。
たぶん口に入ったまま眠らせたことが誤飲を招いて肺に入ってしまったのだろう。3ヶ月の入院になってしまった。この入院が原因で、手を貸せば歩けていた母は、もう自力では
起き上がれなくなってしまった。   

入院のこと

退院後のこと

入院中に毎日体を起していると看護師に言うと、いいことですね、と言われたので、毎日1〜2時間くらいリクライニング車いすに座らせる。

母は要介護5となる(最も症状が重いランク)
寝たきりになってしまった母、望んだ事ではないが、ぼやけた頭で動き回られたり、必要なものを捨てられたりする事はなくなり、TANの負担は少し軽くなる。
介護する側にとって最も大変な介護は、体が健康で頭が衰えた人の世話が一番大変だと思い知る。 世間ではそんな老人が線路で列車に轢かれ、老人の面倒を見させられている奥さんが多額の賠償を負わされたニュースがTVで流れ、怒りがこみ上げる。クソったれ・・・。

口内のメンテナンスは肺炎にならないようにする為に欠かせない。最初はマウススポンジで喉の粘りを取っていたのだが、母の衰えと共に手作業で粘りを絡め取るマウススポンジでは役不足となった。
喉の奥に粘りがからむようになってきて母の咳が止まらない。訪問介護師の方が痰の吸入ポンプを1週間特別に貸してくれたので、その隙にヤフオクで同機種発見しゲット。
漫画内の「セキの原因対策の観賞魚用エアポンプ改造」は、「もりおか往診クリニック低圧持続吸引器の作り方」を参考にいたしました。

口が閉じれない時間が増えたので常時マスクをつけるようになる。最初は口の感想を防ぐゼリー状のものを口内に塗る方法を病院に教えられたが、乾燥すると固まったりしてケアが大変だったので、マスクにする。耳にかかる部分はゴムひもタイプだと、ずっと付けていると痛くなるようなので、負担のかからないタイプを選ぶ。(耳に掛ける部分がゴムひもではないものにしました)

母の胃にガンが見つかる。胃を摘出しなければならないと二人の医師に言われた。一人はガンを発見した(肺炎で入院した病院の)医師、一人はお世話になっている近所の担当医。
一般的に全摘出しなければならないサイズだったようだ。パーキンソンの治療を受けている大学病院での治療を希望し、紹介状を書いてもらい、大学病院で手術。
手術の担当医が腕利きの若い方だったようで(しかも遠い親戚だった)胃を残した状態での手術を成功してくれる。 胃の治療中は胃ろうではなく、腸ろうとなる。
腸ろうだと、パーキンソンの薬の効きがはっきり出る。注入後30分で急に母は意識がハッキリして活動的になる。胃の治癒後、胃ろうに戻す。 しかし胃ろうの注入食エンシュアは
口からの摂取が可能な食品で、保険が利くのに、何故 腸ろうの注入食は腸専用のものなのに保険が効かないとですか?

兄が仕事場から持ち帰ったインフルエンザでTANダウン。ふだんはずっとTANが母の面倒みているため、インフルの治った兄に介護方を教えるが、まるであかん、いつも目の前で
見ているにもかかわらず、やはりイザと言う時のため学ぼうとする意思のない者は、いくら見てても身にはつかないんだな。 のちにこの事をヘルパーさんに愚痴ると、
そりゃー、男は駄目よー何もかも人任せにして口だきゃ偉いんだからー笑笑笑。 たしかに、TANも母が動けてる間は手伝いくらいはしたが、本気で家事始めたのは危機迫ってから。
ホンマ男は駄目やね、Nにしても保険や仕事の管理が出来てなくて後でグダグダ。そして宗教に逃げて言い訳ばかり。ホンマ男なんて何もせんくせに口だきゃ偉い強がりだけのクソぢゃね。
母はヘルパーさんに頼んでデイケア先の病院に避難入院させていただきました。

母の介護度が1ランク下げられ「要介護4」になる。
役所が政府のお偉方に審査が甘いと迫られ変わったらしい。担当医が教えてくれた降格の理由は、「たぶん、胃ろうなので食事の面倒が少し楽になった為でしょう」とのこと。

災害で痰の吸入ポンプが使えなくなると困ると介護師の方に教えられ、バッテリー付吸入ポンプがある事を知るが、どうせならソーラ充電もできるバッテリーの方が幅広く使えて
便利だろうと思い、ネット通販で買う。取り説を見ると医療吸入ポンプ(業務用)使用できないとあったのでギョっとしたが、繋いでみると使えたのでホッとする。

胃ろうでの消化吸収が困難になり、10年越しの介護に「お別れ」か「延命」の選択肢地点が来る。 
体が食糧を求め生きようとしてる場合の餓死はとても苦しいものと聞くが、逆に食糧を受け付けず死に向かう餓死は楽な最期を迎えられると聞くが・・・・・

母のためならここで別れの選択をすべきなのだろうが、心の区切りがつかず、兄の意見にすがり延命を選択した。
一年後「お別れ」か「延命」の選択肢が再び訪れる。 このくだりを4コマ形式の10ページ漫画にて描きました。

           母、サーバーへ転送さる
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ここまで読んでいただき皆様ありがとうございました。

おわり